Heiroのシネマ・ミュージックフロンティア

Heiroによる、辺境の映画・音楽を紹介・レビューするブログです。(映画レビューの際はのっけからしこたまネタバレします。映画は★、音楽は☆で評価) ツイッターアカウントはこちら→https://twitter.com/chloe_heiro0226

"ノクターン(Nocturne)"(2020)

『全ての凡人のための夢へのレクイエム』

(※"パンズ・ラビリンス"のオチに触れています)

 

公式トレイラー

 

Welcome to the Blumhouse作品1本目です。何じゃいそれって方は"カムガール"の記事を見てね。 

 

「音楽家(または芸術家)が悪魔に魂を売り、稀代の傑作を完成させた」みたいな、古典的な怪奇譚は誰しも耳馴染みがあるでしょうが(ゲーテの"ファウスト"だよね、読んだことないけど)、それを本作のように現代劇の形で見せてくれるのは結構新鮮ですよね……でもないか? 先日レビューした"ガンズ・アキンボ"のジェイソン・レイ・ハウデン監督の前作"デビルズ・メタル"では、演奏すると悪魔を呼び出してしまう曲が出てきましたね。気になりながらもまだ観てない"デビルズ・ソナタ"も似たような話なのかな? 分からないけど。でも、"ノクターン"は「悪魔の曲」についての話ではありません。「ノクターン(夜想曲)」とは、簡単に言えばクラシック音楽「夜に巡らせる心情を表した曲」で、特にショパンのが有名ですが、作中にはノクターンと呼べる曲も一回も出てきません(笑)。でもかなり気に入りました。
双子の片割れに向けて呼びかける「wombie(双子ちゃん)」という言葉が出てきたり、原語で「party people」って言ってたり(ちゃんとした英語だったんだ)、吹き替えで「ジェラってた(嫉妬してた)」という珍訳が聞けたりと、本筋と関係ないところでも楽しめました(笑)。
 
 
あらすじ
ヴィヴィアンとジュリエットは、クラシックのピアニストとして成功を目指す双子の姉妹。2分違いで生まれただけなのに、ジュリエットは才能も人気も姉に負けていた。幼い頃からピアノだけに打ち込んできたジュリエットにはそれが耐えられないが、ある日、才能がありながら自殺した同級生のノートを拾う。奇怪な文字や絵が描かれたそのノートには何か隠された力があるようで、ジュリエットは徐々に姉を脅かす存在となっていくが……。
 
スタッフ・キャスト
監督・脚本はこれが長編デビュー作となるズー・クアーク。
ジュリエット役には"ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド"シドニー・スウィーニー、ヴィヴィアン役には"ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル"のマディソン・アイズマン。他。
 
 
まずキャスティングが面白い。調べてみると、シドニー・スウィーニーもマディソン・アイズマンも実はかなり多くの作品に出てるらしいですが、おそらく出演作が日本に入ってきたのはここ数年のことなので、ようやく知られるようになった女優たちです。マディソンはリブート版"ジュマンジ"シリーズや"アナベル 死霊博物館"に出てたから、多分シドニーより有名でしょう。特に"ジュマンジ"でのインスタ女子ベサニー役が良かった。第一印象と、最後のあの笑顔のギャップがすごすぎて、それだけで5億点あげたくなるくらい最高のキャラでした。ベサニー本当良い娘すぎんか……。本作では皆に好かれているものの妹のジュリエットには疎まれている姉を演じてました。
シドニーが大きい役をやってるのを見るのは本作が初めてでした。"ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド"のどこに出ていたかも覚えていません(笑)。でもエリザベス・モスの"ハンドメイズ・テイル/侍女の物語"や、ゼンデイヤ"ユーフォリア/EUPHORIA"などの人気ドラマにも出演し、飛ぶ鳥を落とす勢いのようです。実は"アンダー・ザ・シルバーレイク"にも出てました。同作の中で、デヴィッド・ロバート・ミッチェル監督の長編デビュー作"アメリカン・スリープオーバー"が流れる場面があります。といってもオリジナル版そのままでなく、別の役者が演じ直したものなんですが。その内の一人がシドニー。劇中に出てくる「シューティング・スター」という名前の性的サービス店に勤めているという設定でした。あれはハリウッドでの成功という夢に破れた者の物語でしたから、あのキャラクターは"ラ・ラ・ランド"でウェイトレスをやっていたエマ・ストーンのような売れない女優だったのでしょう。その人が本作のジュリエット役だなんて。ベルリン国際映画祭における有望俳優賞の名称が「シューティング・スター賞」なんですけど、おそらくそれにかけた意地悪なジョークなんでしょうね。しかし、実際のシドニーはまさにシューティング・スターと呼べるような活躍を見せているようです。"マルホランド・ドライブ"ナオミ・ワッツのように、「売れない女優を演じた売れない女優は後に売れるの法則」でもあるんでしょうか。本作のジュリエットは「ピアノが中々上手いだけの凡人」なんですが、シドニー自体は何となくビリー・アイリッシュに似てる気がします(笑)。マディソンとの双子役も違和感ないし、語弊がありますがマディソンの顔なのにあんまり冴えない感じがよく出ています。陰と陽。そういう意味でドッペルゲンガーもの的な部分もあります。"ダニエル"にも似たとこありましたね。あ、"ワンス〜"で共演してたマーガレット・クアリーにも似てるな……(笑)。どうでも良いけど、ジュジュってジュリエットの愛称だったんですね。本作観て初めて知りました。

 

ジュリエットは 、すでにジュリアード音楽院への切符を手に入れているヴィヴィアンに嫉妬しています。冒頭で、将来を有望視されているモイラという同級生が謎の飛び降り自殺を遂げます。ジュリエットらの高校では、卒業コンサートのコンチェルトで優秀な生徒にソロを弾く権利が与えられます。本当はモイラがその役だったんですが、新たにオーディションでソリストを選び直すことに。コンサートにはジュリアードのスカウトが来ると聞いたジュリエットは、何が何でもチャンスを物にしようとします。ロジャー先生に言われて練習しているモーツァルトではオーディションに受からないと考えたジュリエットは、勝手に姉のヴィヴィアン(ヴィー)と同じサン・サーンスの曲を弾くことに決めます。そしてモイラの物らしき、不気味な絵と記号が書かれた謎の黒いノートを拾います。表紙には不気味な太陽らしき絵も。
 
オーディション当日。あがり症のため薬(プロプラノロール)を飲んで演奏に望んだジュリエット。演奏が始まると、ジュリエットは謎のビジョンを見ます。大きなコンサートで拍手喝采を受ける自分の姿を。気が付くとオーディションは終わっており、皆から「良い演奏だった」と言ってくれますが、結局選ばれたのはヴィーでした。
 
ジュリエットはピアノの練習以外何もしてきませんでした。ヴィーのように遊びもしないし、恋人も作らなかったのに。ここら辺、暗い"ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー"って感じですね。しかし、ロジャー先生には「良い弾き手」とは言われるものの教師の道などを勧められます。一流の演奏家になるための「何か」がないのです。「全員がソロを弾くとオーケストラは成り立たない」。そりゃそうですが、じゃあ何で自分がそのソロを弾けないのか? ピアノに全てを捧げたのに……。ジュリエットは、自分が伸びないのはロジャー先生のせいだと彼を責めます。先生も、演奏家になれず教師の道を選ばざるを得なかった「落ちこぼれ」だからと。同じような話は"ファイティング・ファミリー"でもありましたね。怒ったロジャー先生はジュリエットをビンタしてしまい、停職に。ジュリエットはこの機に乗じて、ヴィーと同じキャスク先生の門下に入ることに成功します。キャスク先生は、ジュリエットとヴィーのテクニック自体はそう変わらないが、ヴィーは悪魔が隣にいるように弾くと言います。モイラもそうだったと。鬼気迫るような迫力がジュリエットにはないんでしょうか。
 
モイラのノートに書かれた記号は鏡文字と気づいたジュリエット。解読すると、絵に対応した謎の6つの手順が書かれていることが判明します。
I、手に3つの丸い何かを乗せた女性の絵、Invocation(悪魔を呼ぶ呪文)。
II、鉤爪を持つ悪魔の絵、Assurance(自信を持つ)。
III、倒れた女性の絵、Triumph(大勝利)。
IV、交わる男女の絵、Consummation(結合)。
V、火の中で枝のような物を持つ男性の絵、Purification(汚れの浄化)。
VIは破られており、内容不明。
ジュリエットが絵を見ると、一部が光ったり、陽炎のように揺らぎます。この描写が実に"ミッドサマー"っぽい。絵の感じも似てるし。ジュリエットは頭の割れたモイラに笑いかけられる悪夢を見ます。
 
ジュリエットは、ヴィーの彼氏マックスに誘われ、学生たちのドラッグパーティーに参加します。クラクラした状態で迷い込んだ洞窟で、ヴィーが浮気相手と電話しているのを聞いてしまいます。ヴィーが去った後、マックスがジュリエットを追ってきます。ピアノを始めたきっかけなどを話し合い、打ち解けた2人。その様子を見たヴィーが突っかかってきたためジュリエットは逃げますが、その途中でノートの太陽に似た、謎の黄色い光が眼前に広がります。呆けて見ていると、追いかけてきたヴィーが崖に気づかず落下し、腕を折ってしまいます。
ジュリエットが自分の部屋で目を覚ますと、ノートに何度も「VI(6)」と書き殴ってあります。寝ぼけて自分で書いたようです。ヴィーはピアノを弾ける状態ではないし、コンチェルトの曲目はもう変えられないので、同じ曲目だしオーディションで良い演奏を見せたジュリエットにチャンスが巡ってきます。
 
ノートの絵が一連の事態を予言していると気づいたジュリエット。
I、手に3つの丸い何かを乗せた女性の絵、Invocation(悪魔を呼ぶ呪文)。丸い何かは薬で、飲んだ後はビジョンが見え素晴らしい演奏ができる。
II、鉤爪を持つ悪魔の絵、Assurance(自信を持つ)。ロジャー先生は手を鉤爪のような形にする癖を生徒にからかわれており、ジュリエットは自分自身に、先生とは違って本物の才能があると言い聞かせた。
III、倒れた女性の絵、Triumph(大勝利)。ヴィーが崖から転落し、ジュリエットはヴィーの座を奪うことができた。
モイラの家族について調べると、彼らも絵の予言した通りの目に遭っていると判明。マックスにこのことを話してもやはり信じてもらえませんが、ヴィーの浮気の件を伝え2人を別れさせることに成功します。マックスへの想いを募らせていたジュリエットは後日、彼と会った時に衝動を抑えられず関係を持ってしまいます。
IV、交わる男女の絵、Consummation(結合)。マックスと結ばれる。
また予言通り。マックスもジュリエットに気があるのかと思いきや、まだヴィーに未練があったのか「これは間違いだった」と去ってしまいます。
 
双子の誕生日パーティー。双子の母親がクラシックは今後廃れるのではと話すと、ゲストのキャスク先生が反論します。確かにクラシックを聴く層は少なくなっているが、ソリストは全てを犠牲にしてやっと得られる立場であり、それを理解する者がいる限りクラシックは聴かれ続けると。ズー・クアーク監督はデビュー作がこれだし、やはりクラシックに強い思い入れがあるんですかね。キャスク先生はヴィーを見ながらそう言いますが、それに怒ったヴィーは先生に酒をぶっかけます。キャスク先生が寮まで送ってくれると言うのでお言葉に甘えると、その前に先生の家に連れていかれます。明日にコンサート本番を控え、「自分には才能があると言い聞かせろ」と励ましてくれる先生ですが、自分に気があるのかと勘違いしたジュリエットはキスしてしまいます。この辺りの、不器用なジュリエットの行動が実にヒリヒリします。生徒と恋愛して問題を起こすつもりはないと話す先生ですが、以前先生にもらった電話番号がヴィーの浮気相手の番号と同じだと知っていたジュリエットはそれを嘲笑います。キャスク先生は20年前の賞を後生大事に飾っていて、結局ロジャー先生と同じで、偉大な存在にはなれなかったのねと。しかし、先生にはこう言い返されます。同級生の中に稀代の天才がいないのは何故か? 本物の天才は学校に行く前から凡人の遥か先を行っているからだと……。感情が昂ったジュリエットは、先生が賞を取った時の指揮棒を暖炉に投げ入れ、先生は必死にそれを拾おうとします。
V、火の中で枝のような物を持つ男性の絵、Purification(汚れの浄化)。暖炉から指揮棒をかき出すキャスク先生、ジュリエットは本物の才能を持たない人間の驕りを焼き払う。
またも、予言通り。
 
寮に戻ったジュリエットは、何者かに取り憑かれたかのように失われたノートの6枚目を書き記していきます。自動筆記的に書かれたその内容は……。
VI、例の太陽を背にその場から足を踏み出す女性の絵、Sacrifice(犠牲)。
ノートの持ち主のモイラは飛び降り自殺をしています。この絵は屋上から飛び降りようとしているところにも見えます。怖くなったジュリエットはノートを焼いてしまいます。
 
コンサート本番直前。穏やかでないジュリエットの心情を表すように、オーケストラのチューニングで生じた不協和音が鳴っています。こういう演出のセンス良いですね。
ジュリエットが楽屋にいると、ヴィーが話をしに来ます。ジュリエットの最後のソロは小2の時で、緊張で固まったジュリエットにヴィーが「いつでも側にいる」と言ってリラックスさせた話。でももう2人の仲は元に戻せません。「私の方が上手いから恨んだの?」というヴィーに対し、「上手かった、よ」と退かないジュリエット。ジュリエットはヴィーから全てを奪いましたからね。先生も彼氏もチャンスも。ここで完全に2人は決別します。最後にヴィーは、このコンサートにジュリアードのスカウトが来るというのは完全な与太話だと切り捨てます。ここで最高の演奏をしたところで、世界も未来も何も変わらないと。「私はケガを言い訳にできるけど、あんたはただの凡人だからね」。動揺したジュリエットは、手を温めるため(かな?)に溜めていた洗面台のお湯を冷まさないまま、両手を浸してしまいます。ここで「フェェェェェェェェ」みたいな気味の悪い音(声? ドラマの"トリック"で流れるみたいな)がBGM代わりに入ります。これまでも何度か挿入されてましたが、これが非常に不快感を催します(誉)。"ミッドサマー"でも不気味な声が効果的に使われていましたけど。
出番が来て舞台に出たジュリエットですが、緊張で固まってしまいます。Heiroも昔ピアノを習っていましたが、コンサート前の緊張感は本当に嫌なものがあります(笑)。非常にサスペンスフルな場面。ヴィーとの会話ですでに心が折れているジュリエットは舞台から逃げ出し、怪しく黄色に光る非常口のライトに導かれ屋上へ。飛び降りる直前に、眼前に黄色い太陽が—―。
気がつくと、演奏は終わっていました。きょとんとするジュリエットですが、観客はスタンディングオベーション。ヴィーも笑っています。ジュリエットも微笑み……。
再び場面が一転。血だらけのジュリエットの顔のアップになります。本作のジャケットのような顔です。本当はそのまま屋上から飛び降りていたのです。自分がスターになったビジョンを見ながら、笑顔でジュリエットは死んでいきます。そしてその前を何人も学生が通り過ぎますが、誰一人気づかず……というところで話が終わります。
VI、例の太陽を背にその場から足を踏み出す女性の絵、Sacrifice(犠牲)。飛び降りたジュリエット、魂は悪魔に奪われた……。
 
超のめり込んで観てました! 悪魔的なノートの話にも見えるし(ほぼデスノートやん)、全てが主人公の妄想にすぎないニューロティックホラーにも見えます。悪魔に操られ、最終的に魂を奪われてしまったと解釈するなら、"ヘレディタリー/継承"的な話でもあります。個人的には、実際に悪魔が姿を持って出てこないのがフレッシュで良かったですね! まあ黄色い太陽が悪魔的な何かを表現しているんだと思いますが、上手いのが、これスポットライトを直視した時のような画に見えるんですね。ジュリエットが死ぬほど欲しかったものです。黄色い太陽も"ミッドサマー"っぽいですが、少し枯れた黄色なんですよね。黄昏のような。黄昏は死が近いことを連想させます。実際そうかは分かりませんが、本作もアリ・アスターの影響が強いように感じますねえ。最近そういう作品多い。"ロッジ -白い惨劇-"しかり、"ダニエル"しかり。

 

仲の悪い双子ものという点でも新鮮でした。映画などに出てくる双子は、大抵仲良くて同じような行動を取りますもんね。しかし、結局本作で仲違いした双子は、どちらも人生を狂わされます(程度の差はあれ……)。フィクションにおける双子の絆はある種の呪いですね。劇中でジュリエットが無意識に「VI」と書き殴っていましたが、それはローマ数字の6にも読めるし、姉ヴィヴィアンの愛称ヴィーのスペルでもあります。心の中では「側にいて」とヴィーの助けを欲していたのかもしれません。切ない。
色んな人の感想を読んでると、ラストにジュリエットが死んだのは、あくまで「これまでのジュリエットの死」のメタファーであると解釈してる人もいて驚きました。そうして偉大なピアニストへの一歩を踏み出したのだと。確かに、死んでも誰にも気づかれないというのは非現実的な描写ですし。しかし、ヴィーとの最後の会話で、ジュリエットはこれまでの努力が水の泡になったことを知っていました。しかも、拍手喝采を受けるビジョンでは、決別したはずのヴィーが笑っていました。"キャリー"のラストで、キャリーはずっと味方だった先生が自分を笑っているビジョンを見ます。ジュリエットの場合とは、その笑みの意味は全く正反対ですが、どちらもまさに「非現実的」です。個人的には"パンズ・ラビリンス"のオチに似てると思います。あれも、地下世界のプリンセスになった映像の後に現実世界のオフェリアの死が映されますよね。主人公の心情としてはハッピーエンドですが、客観的に見ると哀しい終わり方です。やはり一番最後の映像が最も印象に残りますから、「でも実際は死んだ」と断言されてる感じがしました。まあ解釈は人それぞれで良いんですけど。しかし、"ミッドサマー"も本人的にはハッピーエンド、客観的にはムムムエンドのはずなんですが、あれは何故かちゃんとハッピーエンドに感じたんだよなぁ……(笑)。まあ向こうにはある種のカタルシスがありましたからね。ジュリエットがヴィーにどう思われるかを気にせず、成功を掴もうとするところは"セッション"っぽかったですね。"ブラック・スワン"っぽくもありますが、ナタリー・ポートマン演じるニーナと違って、ジュリエットは結果的には何も成すことなく死にました。"ノクターン"というタイトルですが、観終わってみると「エレジー(哀歌)」という感じでもある。全て徒労に終わったというエンディングは"バリー・リンドン"っぽさがあるし、双子といえば"シャイニング"。ズー・クアークはスタンリー・キューブリックも好きなのかな? こじつけですけどね~。
 
先日、"ハープーン 船上のレクイエム"をレビューしました。監督のロブ・グラントが「平凡は死だ」と言っていましたが、本作はまさにそれを文字通りやってみたような映画でした。特別何かの才能があるわけではない大半の人には、結構堪える映画になっているのでは。特に、何かに長年打ち込んでいたのに挫折した人とか。ロジャー先生がジュリエットに教師の道を勧めますね。先生としては生徒のためを思ってのことでしょうが、本人にはとても受け入れがたい提案です。成功のために全てを犠牲にしてきたのに、それを諦めろと言われるのはね……。もちろん諦めずに続けてもその先はないと見越しての提案でしょうから、とても現実的ではありますけど。"ブラック・スワン"ダーレン・アロノフスキー監督は、"レクイエム・フォー・ドリーム"という超鬱映画も撮っています。主人公たちは、ドラッグや何かへの依存から、夢を絶たれ人生も破滅していきます。レクイエム・フォー・ドリーム(Requiem for a Dream)とは、夢へのレクイエム。夢を叶えられた人間が、この世にどれだけいるでしょう。本作は、全ての凡人が諦めた夢たちを弔うための鎮魂歌なのです。
才能というのは目に見えませんから厄介ですね。数値化もできないし。成功した後になって、これまでの人生の点たちを線に繋いで初めて、「どうやら自分には本当に才能があったようだ」と思うものなんでしょう。それまでは、自分には才能があると信じてやるしかない。そういう意味では、本作は「才能の有無は分からないが、続けなければ成功もないぞ」という厳しい応援歌でもあるのかも。ところで、世の中夢強迫症すぎますよね。夢というのもある意味呪いですよ。
 
Heiroの暫定今年ベストは"ダニエル"なんですが、本作もそれに匹敵するほどグッときました。ジュリエットは確かにヴィーから様々な物を奪いましたが、「奪い取れ」はしませんでした。キャスク先生も、マックスも、チャンスさえも自分の物にはできませんでした。全てヴィーのお下がりだし。悪魔のせいだとすると、ずいぶん残酷な悪魔ですね。ビジョンを見せて期待させるだけさせておいて、実際は何も与えなかったのです。
実際に悪魔がいなかったとしても、ジュリエットが自分の実力以外のものに頼ろうとした時点で、魔が差していたわけです。この「魔」とは、仏教の悪魔的存在、マーラ(魔羅(マラ)とも)が語源のようです。どちらにしても、ある意味悪魔のせいですね。多くの人が自己を投影するであろう、この切なすぎる主人公。しばらく忘れられそうにありません。ジュリエットにもレクイエムを捧げたい。
 
そうそう、最後に、何故この映画のタイトルが"ノクターン"なのか。私見ですが、ジュリエットは陰の存在、太陽に憧れる夜です。ノクターンとは「夜に巡らせる心情を表した曲」のことでした。なので、まさにこの映画自体がノクターンになっているのです。多分ね。切なくて哀しいホラーですから、夜にしっぽり観ましょう。怖いかと言われるとそうでもないですが、不気味な描写はイイ感じです。
 
 
★★★★★★★★☆  8.5/10点
Rotten Tomatoes  62%,32%
IMDb  5.7
皮肉なことに、本作は「平凡」という評価がつけられることが少なくありません(笑)。でも、絶対にそんなことはないと思うぞ! ズー・クアークには才能がきっとある(笑)! まず観て!!