Heiroのシネマ・ミュージックフロンティア

Heiroによる、辺境の映画・音楽を紹介・レビューするブログです。(映画レビューの際はのっけからしこたまネタバレします。映画は★、音楽は☆で評価) ツイッターアカウントはこちら→https://twitter.com/chloe_heiro0226

"荒地の少女グウェン(Gwen)"(2018)

人のビジネス邪魔する奴は、炎に焼かれて死んじまえ

 

公式トレイラー


荒地の少女グウェン"GWEN" 第12回京都ヒストリカ国際映画祭 The 12th Kyoto HISTORICA International Film Festival

 

三日坊主になってるじゃねーか!! 本当にすみませんでした。こ……これからは……。

というわけでっ!

 

第12回京都ヒストリカ国際映画祭のオンライン上映にて鑑賞。コロナで大変な状況ではありますが、京都まで出向かなくても気になっていた映画が見れるというのは良いことです。

京都ヒストリカ国際映画祭には初参加で特段詳しくもないんですが、第9回では今をときめく若手女優のフローレンス・ピューが一躍脚光を浴びた(らしい)"マクベス夫人(Lady Macbeth)"という作品が取り上げられており、先見の明があるなと思いました。2017年当時には"ファイティング・ファミリー"も"ミッドサマー"も"ストーリー・オブ・マイライフ"も"ブラック・ウィドウ"もありませんからね。"ファイティング・ファミリー"と"ミッドサマー"は見てますが本当に最高の映画ですし、フローレンス・ピューがピッカピカに光ってました。モノホンのスターです。

ちなみに、"マクベス夫人"は今年の「のむコレ」で"レディ・マクベス"というタイトルに変わって上映されています。未見なんですけど。

 記事タイトルが物騒なことになってますが、そういう映画だったんだもん。しょうがないよね。

 

あらすじ

19世紀のウェールズ。山岳地帯で少女グウェンは母親と妹のマリと暮らしていた。父親は戦争にとられ、その帰りを待つ間に一家の農場の土地は鉱山会社に目を付けられる。父親が帰ってきたときのために土地を売ることを固辞する一家だが、夜間に家の周りで人の気配がしたり、家畜が殺されたりと徐々にグウェンらは追い詰められていく。それに合わせるように母親の行動もおかしくなり始め……。

 

キャスト・スタッフ

監督は長編デビューとなるウィリアム・マクレガー。

グウェン役には、"マレフィセント"で幼いころのオーロラ姫を演じたエレノア・ワーシントン=コックス。母親役には"博士と彼女のセオリー"のマキシン・ピーク、その他。

 

感想

いやあ、ある意味"ヘレディタリー"よりカタルシスのない映画が来てしまいました。ジャンルは"ミッドサマー"と同じフォークホラーなんですが、こっちにはカルト集団も超自然現象もほとんど出てきません。最近のフォークホラーだとアニャ・テイラー=ジョイ主演の"ウィッチ"とかもありますが、こっちは徹底的にリアリズムですね。一応、こっちにも「魔女」は出てきますが。フォークホラーに出ると売れっ子になるんでしょうか。そしたら本作のエレノア・ワーシントン=コックスも売れて良いと思いますよ。演技も良かったしすこぶる可愛いです。時代設定によるものと思いますがあまり手入れされてなさそうな眉を見て、"RAW 少女のめざめ"のギャランス・マリリエを思い出しました。美しき獣、といった感じです。エレノア・ワーシントン=コックスはギャランス・マリリエほどシャープではないというか、かなりキュートな感じではありますが。

"ヘレディタリー"はものすごく嫌な映画ですが、展開が読めないしホラー演出がガチで怖いんでちゃんとエンターテインメントになってたと思うんですよ。本作はそういう観客へのサービスはなくて、ひたすらに荒涼とした景色を陰鬱に映し続けます。だからといって面白くないという意味ではないですよ。楽しくないのは確かですが! 映像自体は美しいものの、あまりにも寒々しくてこんな時代のこんな場所に生まれなくて本当に良かったと思ってしまいます。わざと指を切って、流れる血を頬につけて化粧するシーンなど、当時ならではのディティールも良かったですね。

ストーリーにツイストはあまりなくて、一家は一直線に不幸になっていきます。冒頭でグウェンは隣人が死んでいる場面に出くわします。そこに居合わせた黒人医師にコレラのせいだと言われますが、特にその後コレラへの恐怖とかは出てこず、家のドアに動物の心臓が打ち付けられていたり、家畜の羊が皆殺しにされていたりと陰湿なイジメみたいな出来事が続きます。それと並行し、初めからどう見ても情緒不安定なグウェンの母親は痙攣発作を起こしたり、羊の死骸を焼いた後にその頭蓋骨を割ってそこらに撒いたり、自分の腕を切りつけたりします。グウェンにもそれらが意味不明な行動にしか見えないので、観客にも何の説明もされません。監督によれば、動物の心臓は魔女除けの儀式、羊の頭蓋骨は不運を浄化するための儀式、腕切り付けは瀉血(しゃけつ。内なる悪い物を排出するための行動)だということです。迷信とか疑似科学ですね。まあ嫌がらせ行為と奇行とリストカットと捉えても見ている分には違和感ありません。

グウェンも精神的に追い詰められ、父親含め家族4人で幸せそうに大きな岩の周りを走り回る夢や母親が完全に気が狂ってしまう夢を繰り返し見ます。岩の周りを走る夢は実際の過去の記憶なのか象徴的なものか分かりませんが、映画の後半になると家族が岩を一周して完全に岩の後ろに隠れた後、グウェンのみが再度岩の周りを走るという悪夢に変わります。家族を失うという予感が表れているんでしょうね。この時の映像は定点で撮られているので厳密には違いますが、視点が360度回転すると景色が様変わりしているといった演出が個人的に好きです。アリーチェ・ロルヴァケルの"夏をゆく人々"やアグニェシュカ・スモチンスカの"ゆれる人魚"のラストでありましたね。

恐怖シーンは母親絡みか、何とも古典的なことに突然の雷鳴が用いられる演出になっていて、少しジャンプスケア的ではあります。超自然現象というか、育てているジャガイモが腐るというさすがに人為的ではなさそうな不幸までが降りかかります。さすがに夜間に家をうろついていた人物が毒を入れたとか……あるかもしれませんね。明確な描写はないですが、リアリズムの映画ですし。

グウェンには友だちとまでは言えなさそうな、しかしお互いに意識しているらしい同年代の男子ハリがいて、病気の母親の代わりに市場で野菜を売っているときにニンジンを買ってくれようとします。しかしハリの父親はグウェンを好ましく思っていないようで、ハリに野菜を買わせず連れ帰ってしまいます。何故でしょうね。

グウェンは黒人医師から母親の薬をもらっていますが、あまりに高額な上、家畜も農作物もほぼ全滅してしまったので代金が払えません。この医師は鉱山会社側の人間で、「農場を売れば?」なんて言ってきます。ここのエレノア・ワーシントン=コックスの演技が良くて、始めはこの医師に対して申し訳なさそうに対応しているんですが、農場の話が出たときに怪訝そうな表情を浮かべるのを一連の流れで見せてくれます。静的な映画だとこういう演技が実に味わい深いですよね。父親が帰って来た時のために農場は売れないと伝えるも、この鉱山会社側の医師は薬をくれるんですよ。鉱山会社側の人間なのにですよ! Heiroは白目をむきながらさぞ良い人なんだろうと思っていましたが、後から立ち退きの脅迫材料としてグウェンが薬を盗んだことにされてしまいます。やはりな! 元々母親もグウェンに厳しく、コミュニケーションといっても叱る言葉ばかりです。泥棒扱いが原因で、買っている馬が骨折してしまい死なせてあげなくてはならなくなった時も、母親は激しく嫌がるグウェンに手を下すのを強制しようとしたりと、母娘関係もギクシャクしていきます。

そしてある日。母親は戸棚にある手紙をグウェンに読ませます。それには、実は出兵直後に父親が死んでいたことが書いてありグウェンは絶望します。この展開えげつないって!

ここまで追い込んでおいて、グウェンには来るべき家族再会の日の代わりに最後の不幸が訪れます。痺れを切らした鉱山会社の男たちは、グウェンの母親を殺そうと襲ってきます。1人はどうにか返り討ちにしますが、母親も大怪我を負ってしまいます。この時男たちは徒党を組んで松明を掲げて近づいてくるんですが、ジェームズ・ホエールの“フランケンシュタイン”を思い出しました。悪意があったわけではないものの少女を殺してしまったフランケンシュタインの怪物と違い、グウェンの母親は何の罪を犯したのでしょうか。土地を渡さなかった罪? そんなバカな。しかもその中にハリの父親が! 彼も鉱山会社側の人間だったんですね。嫌々ながらもハリも連れてこられていましたが、ハリにとってもトラウマもんでしょ……。

グウェンの母親はギリギリで娘たちは逃しますが、最終的に焼かれて殺されます。魔女狩りと同じ! 先日レビューした“スケアリー・ストーリーズ”のアンドレ・ウーヴレダルは魔女に寄り添った作品を作っている監督で、現在では魔女とされた女性らは社会から爪弾きにされた者たちだったとされていますが、本作でも同様ですね。

殺した男はずっと立ち退き説得をしていた人物で、スーツにステッキとどう見ても紳士な外見なんですが、表情ひとつ変えず瀕死の母親にアルコールをかけ、松明をかざします。皆同じ教会でお祈りをしていた仲間のはずなんですがね。おぞましい。グウェンが冒頭で見かけた隣人はコレラで死んだと鉱山会社側の医師が言ってましたが、本当はどうなんでしょうね。そのシーンを見直してないので確かなことは言えませんがすこぶる怪しいね。

グウェンと幼いマリは生き延びますが、この先どうやって生きていけば良いのでしょうか。「マリ」という名は聖母「マリア」にちなんだものかと思いますが、本作では信仰は何も救ってくれません。劇中で、絶望したグウェンは十字架を火の中に投げ入れます。人生の指針すら失った姉妹はどこに行けば良いのか? 男どもはこれからも教会に通い、神に祈り続けるのでしょう。吐き気がしますね。

信仰はビジネスに負ける。ビジネスは人を殺す。弱者は全てを奪われ、時代はそれを顧みることはない。現在の社会があるのは、グウェンらのような被害者がいたからでしょう。これは一応フィクションですが、実話だったのかもしれませんよね。邪魔者は排除されるというテーマは現代的で(特に今!)普遍的なので、グウェンは今も世界のどこかに生きているのでしょう。この作品が全てのグウェンの魂の癒しになることを願って。

 

★★★★★★☆ 6.5/10点

 

Rotten Tomatoes  71%,78%

IMDb  6.0

地味に評価されています。